神奈川の誇る神奈川新聞

神奈川新聞は、権力に屈することなく政府の権力の横暴を明らかにしてきた。最近、論説が、偏っていると非難の矢面に立たされ、記者は無難な記事を書くようになっていることを他紙で知った。人は、都合がよいことを真実とし、都合悪ければ、偏っていると批判する。反論されれば、その程度の反論かと自分は有能だと確信し自我を守る。差別的で攻撃的、偏見、偏執まみれで、異なる意見を聞かない。異なっていると、偏っている変な奴、馬鹿な奴と侮蔑し、もし、弱ければ攻撃する。人も動物なので、リーダーがその行為を行ったのであれば、私たちフォロワーは模倣し同じ対象に矛先を向ける。リーダーが作った仮想敵にも敵意を示し、リーダーは、敵が居ることを知らせ、脅威を過大に見積もらせて、群をまとめる。フォロアーは、権力へ服従して抵抗できず、権力の傘の中に収まっていれば安心し、権力が向けた方向に羊のように追従する。権力を持つと周囲への配慮が薄れ、やりたい放題になっても、強いリーダーにはメロメロだ。それは、進化は遺伝子を伝えるのに役立つ行動を優遇し、不合理に見えるが、適応度を増大させるように作られたメカニズムだ。しかし、持っている権力が強まると、必ず群をある方向に向けようとするが、横暴な権力行使であることが多い。メディアの仕事は、それを監視し、その正体を明らかにすることで、庶民が論理的な選択を間違うことから守り、弱者の代弁することにある。今、メディアが権力に監視されてどうするんだ?権力監視の役割を担ってきた神奈川新聞を、神奈川県民として自分の誇りにし、政治的な圧力などに一切屈せず、権力にすり寄ることもなく、何時までも弱者に寄り添っていてほしいと願っている人も多いのではないだろうか?


人は、自分と同じような共通点がある人と群れるのが大好きだ。戦争中、アメリカは、日本人を女王蜂が死ぬとワーカーがみんな死んでしまう、臆病で保守的な蜂の群だとみなし、国体譲持を認める代わりにポツダム宣言を受け入れさせた。